オートバイ人生にも締め切りがある
私は50年以上オートバイに乗り続けてきました。
そんなオートバイ人生の終わりがそう遠くないことを何となく感じるようになってきました。
この数年で仲間が集まりにくくなってきたのです。
これまでの「還暦ライダーズ」の頃までは
「長野行くよ〜」
「九州行くよ〜」
「伊豆に行くよ〜」
「紀伊半島行くよ〜」
「東北に行くよ〜」
と言う声がどこからかかかり 難なく予定が決まっていくのでしたが この頃はそうも行かなくなってきました。
「この指とまれっ」と 今回の韓国ツーリングでもやってみましたが 誰も私の指にとまってくれません。
まあ ある意味、少しハードルが高めだと言うことはわかります。
面倒な事が少なければ まだまだ 仲間と走ることは続くでしょう。
しかし、オートバイ仲間が減っていき いずれは一人になることは避けられないでしょう。
これは 私が先にオートバイを降りて 誰かが残されると言う事例も考えてのことで 私が残ると
言うわけではありません。
今回は 私一人で 出かけることにしました
孤独について
戦後約10年経った頃の高度成長時代にうまれてきた私たちは 一生懸命働く大人たちをみて育ちました。
企業人として生きることを選択して男性たちの多くは家族 概ね子どもたちの教育などを自分以外に任せると言うこともあったと思います。
時がたち 世の中とその常識は大きく変化してきました。
特に私たち世代の男性たちは 「してこなかった事」のツケを今経験しています。
「弱音を吐く事ができない」
「感謝や謝罪ができない」
「本題と関係ない話に興味がない」
「仕事としてのセールストークは湯水のように溢れ出てくるのに 家では会話が続かない」
そして 私の今の離職時期であれば、
「仕事」をなくすこと すなわち 孤独や疎外感の中での生活が始まるという方も多いのではないでしょうか。
私はそのひとりです
正解のない時代の好奇心とは
価値観の多様化という流れによって、これだという正解が容易く手に入らない時代になりました。
一方で、
「自由な考え」とは引き換えに
「広い視野を持って物事を判断しないとすぐに足元をすくわれる危惧がある」
「はっきりとモノを言える人になるにはそれなりの努力をしなくてはならない」
という「責任」も存在感を強めています。
お仕着せの価値観に「NO」と言い出したのは米国のヒッピー達やバックパックで放浪旅の人達かもしれませんが、日本では少数派でした。
それから半世紀以上経ってこの国でも形を変えて 「価値観のガラガラポン」が起きてきているのではないでしょうか?
私はこれは本来の姿に戻ったのではないかと考えています。
未だ価値観を押し付けてくる国や社会があることは間違いないけれど この文章を目にする事ができる人々は概ねそうではない所で生きていると思われます。
しかし、一方で自分でものを考えるのではなく、誰かの考えに乗っかって行く方が楽と考える人も増えている気がします。
私は私の人生は一度きりなので「自分で考えてちゃんとしたい」と思っています。
私がなりたくないのは
いつだって主観でしか話さない
角度を変えて物事を見ることをしない
短絡的、経験不足。
大人でも自分のフィルター越しでしか見ない、というよりむしろ歳を重ねることで歪んでいく人。
私は古希になっても悩みもあるし、苦しみも疑問もあります。
例えば自分の人生に深く関わった人たちが他界した時。
若者のようにむやみに慟哭したりはしないけれど外から見て変わらないようであっても感情が薄れているわけでもなく悲しみや喜びの量や質は変化していません。
日本は終身雇用制と定年という就業形態が一般的ですが、米国では年齢を理由に解雇はできません。
そういう法律があります。
それから シニアシティズンには誇りがあります。
納税義務を果たし、社会貢献をしてきた誇りです。退役軍人も大切にされます。
私は米国に長く住み永住権も持っていたので 日本に帰国する決断をした時のことは今でも覚えています。35年前のことです。
その頃kawasakiに乗って米国を走り回っていましたが、その延長で
北米大陸をひと周りする計画をしていました。しかし、それも断念しました。
大きな決断をしなくてはならない時、何を基準に考えをまとめるか。
それを他人に決めてもらっては 小説「終わった人」の主人公のようになかなか自己完結(成仏?)できません。
書き続けてキリがないのでまとめます。
自分が迷ったり 答えを探しているときにその努力をしていく過程で
「人は変化して成長する」
そのことに変わりはありません。
たとえひとりになっても 私は私と関わり合ったたくさんの恩人達の魂とともにオートバイで旅を続けたいと思います。
オートバイという友達は元気なままですし
